山口地方裁判所 昭和33年(行)6号 判決 1960年9月05日
原告 森篤
被告 下関社会保険出張所長
訴訟代理人 加藤宏 外二名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告が、訴外西島春江より昭和三十一年二月分から同年五月分までの船員保険料及び延滞金合計四万三百二十一円を徴収するため昭和三十二年五月二十二日別紙目録記載の船舶について行なつた公売処分の無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求める。仮に、右請求が認容されないときは、被告が、訴外西島春江より昭和三十一年二月分から同年五月分までの船員保険料及び延滞金合計四万三百二十一円を徴収するため昭和三十二年五月二十二日別紙目録記載の船舶について行なつた公売処分を取り消す。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求める。」旨申し立て、
請求の原因として、
一、別紙目録記載の船舶(以下本件船舶と略称する)は、もと訴外尹権世外三名の共有に属し、同人等が朝鮮人である関係上訴外西島春江名義で登記及び登録されていたところ、その後右尹等四名から訴外康興玉に売却され、同人も朝鮮人であつた関係上登記簿上は右西島から訴外広瀬敏子名義に所有権移転登記されたが、原告は、昭和三十二年二月十日右康興玉から本件船舶を買い受けてその所有権を取得し、同月十九日右広瀬敏子から原告名義に所有権移転登記をなし、同年三月八日近幾海運局より船舶国籍証書の書替交付を受けた。
二、被告は、本件船舶について、右西島春江が昭和三十一年二月分から同年五月分までの船員保険料及び延滞金合計四万三百二十一円の納付を怠つたことを理由に同人より右怠納船員保険料及び延滞金を徴収するため、昭和三十一年十二月二十四日本件船舶を差押え、同三十二年五月二十二日これを公売処分に付した。
三、しかしながら、本件公売処分は以下に述べる理由により無効であり、仮に当然無効ではないとしても取り消されるべき違法な処分である。
(一) 船員保険料徴収のため行なわれる船舶の公売処分については、船員保険法によつて準用される国税徴収法第二十四条、同法施行規則第二十二条により公売は公告の初日から十日の期間を過ぎた後に執行しなければならないのに、本件公売処分について、被告は昭和三十二年五月十七日公売の公告をなし、その後五日の期間を置いたのみで、同月二十二日公売を執行した違法がある。
(二) 右公売公告には財産所在地として神戸市長田区細田町七丁目五と記載してあるが、同所は神戸市の市街地で、海面ではなく、船舶の繋留ができる場所ではない。当時本件船舶は兵庫県相生港に繋留中であつたのに、被告はその所在をも確かめず、公売財産の所在しない土地を公売財産所在地として公売公告に記載した違法がある。
(三) 本件公売処分の実施を担当した下関社会保険出張所徴収課長小川忠美は公売をなすに際し、公売財産を見ずに机上の見積りだけで本件船舶を使用不能のものとして時価百五十万円相当と見積つたのであるが、当時本件船舶は時価七百万円相当の価格を有したのであるから、被告は本件公売をなすに当り公売財産に対し時価に比して甚だしく寡少な見積をなした違法がある。
(四) 僅か四万余円の船員保険料、延滞金を徴収するためならば船具工具を公売すれば事足りるのであるから、そのために時価七百万円の価値ある船舶自体を公売に付することは到底適法な処分とはいえない。
(五) 本件公売処分の執行に際して朝鮮人三山こと崔頭なる者が小寺一夫なる者の委任状もなく委任を受けた事実もないのに小寺一夫と称して出頭したが、公売処分実施の事務を担当した右小川忠美は、その事情を知りながら敢えて崔が小寺一夫名義で入札するのを認め、且つ、崔に対し小寺一夫名義で百五十万円で落札させるという不正な手続を行なつた違法がある。
(六) 本件船舶の落札について小寺一夫本人からも、或いは同人名義で何人からも買受代金百五十万円の納入がなされていないのに拘らず、右小川忠美は、買受代金を領収した旨の虚偽の歳入歳出外現金領収済報告書を作成して同出張所に備えつけ、且つ、西島春江及び交付要求をした有限会社高本回漕店に公売代金残余金を交付した事実がないのに拘らず、右両者からこれを受領した旨の虚偽の領収書を提出させ、更に、崔の申出を容れ小寺一夫から被告の手を経ずに直接西島春江に買受代金を手交することを許したが、事実は、小寺と西島の間の右買受代金の授受すら行なわれなかつたのである。本件公売処分の公売公告によれば買受代金納付期間は即日と定められているから、不正手段を弄して未だに買受代金の納入すら行なわれていない本件公売処分は、国税徴収法施行規則第二十七条により本来被告において解除すべき違法な処分である。
(七) 右小川忠美は、右崔頭及び吉村宏こと金慶能等より請託を受け、恐らくは賄賂をも収受して、右諸事情を半ば知りながら、敢えて同人等の便宜を計るため、謂わば机上公売とも謂うべき右のような不正行為を行なつたのであるから、本件公売処分は実質上無効な処分と謂わなければならない。
四、よつて、原告は、本件公売処分の無効であることの確認を求め、仮に、右請求が認容されないときは本件公売処分の取消を求めるため本訴に及んだ。
と述べ、
被告の抗弁に対し、
一、本件船舶が沈没したことは否認する。仮に、本件船舶が沈没したとしても、原告は国家賠償法に基づき国に対し被告の違法処分により本件船舶を喪失したことを理由とする損害賠償請求をなし得ることになるので、右損害賠償請求の前提として本訴を提起する法律上の利益を有する。
二、原告は、本件公売処分の行なわれた当時、実質上も登記簿上も本件船舶の所有者であり本件公売処分が無効とされ、もしくは取り消された場合には滞納保険料の代払をして本件船舶の所有権を確保できる地位にあるから、実質的に本件公売処分の無効確認もしくはその取消を求める適格を有すると謂うべきで、単に事実上の反射的利益を有するに過ぎないものではない。
と述べた。
(立証省略)
被告指定代理人は、
本案前の申立として、「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、
その理由として、
一、本件船舶は、既に、昭和三十二年七月二十六日山口県角島燈台附近で沈没したから、原告は本件公売処分の無効確認もしくはその取消を求めて本訴を提起する法律上の利益を有しない。
二、国税徴収法に基づく滞納処分についても民法第百七十七条が適用され、滞納者の所有として国税徴収法に基づく差押及びその登記がなされた不動産について所有権を主張する者は所有権取得について対抗要件を具備していない以上差押債権者である国に対抗できない。本件船舶について船員保険料及び延滞金の滞納を理由として差押の登記がなされたのは昭和三十一年十二月二十四日、広瀬敏子から原告名義に所有権移転登記がなされたのは同三十二年二月十九日であるから、原告は本件船舶の所有権を取得したことを被告に対抗できない関係にあり、従つて、本件公売処分によりその法律上の地位に影響を受けることはなく、本件公売処分の無効確認もしくはその取消を求める法律上の利益を有しない。本件公売処分が無効とされもしくは取り消されれば、原告は滞納保険料を代払して本件船舶の所有権を確保できる機会があるとしても、かかる将来の末必の利益は公売処分が取り消された際における反射的利益に過ぎず、訴提起についての正当な法律上の利益とは謂えない。
と述べ、
本案の申立として、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、
答弁として、原告主張事実中二、三の(一)、三の(五)、三の(六)(但し崔と西島間の代金授受に関する点は不知)記載の各事実、被告が原告主張のような公売公告をした事実及び被告が本件船舶の所在を確めず机上の見積りで本件船舶の時価を百五十万円と評価した事実は認める。原告主張事実中一記載の事実は不知。原告主張事実中その余の点は否認する。(但し本件公売処分が違法であることは認める。)と述べた。(立証省略)
理由
被告が昭和三十一年十二月二十四日、本件船舶について当時本件船舶の登記簿上の所有名義人であつた訴外西島春江が昭和三十一年二月分から同年五月分までの船員保険料及び延滞金合計四万三百二十一円の納付を怠つたことを理由に右船員保険料及び延滞金徴収のため本件船舶を差押え、同三十二年五月二十二日これを公売処分に付したこと及び右公売において本件船舶が、小寺一夫名義で入札した三山こと崔頭なる者により百五十万円で落札されたことは当事者間に争がない。
そこで、先ず本件船舶が既に沈没したから原告は本件請求について訴提起の利益を有しない旨の被告の本案前の抗弁について判断する。成立に争のない乙第二号証によれば、本件船舶については登記簿上昭和三十二年八月十五日付で沈没により登記を抹消する旨の記載がなされ登記簿が閉鎖されていることが明かである。船舶登記規則第三十条によれば沈没した船舶の登記の抹消は船籍原簿に抹消の登録をなした管海官庁の嘱託によりなされるのであるから、右登記簿の沈没の記載の基本となるのは船舶原簿の登録の記載であると謂わなければならないが、成立に争のない乙第一号証によれば、本件船舶については船舶原簿に、昭和三十二年八月三日付で、同年七月二十六日山口県角島灯台附近において沈没したので抹消する旨の記載がなされ船舶原簿が閉鎖されていることが明らかである。船舶原簿は船舶の登記簿と共に船舶の状況を明確にする基本となる公簿であり法令上も、その記載が真実に合すべきことが建前とされ常に真実に合する登録が行なわれるよう配慮されていることは船舶法第十条、第二十四条、第二十七条等の規定によつても窺うことができる。しかして、同法第十四条同法施行細則第二十七条によれば、船舶が沈没した場合には所有者は沈没の事実を証するに足る書面を添えて抹消の登録の申請をする義務があり、所有者が正当の理由なくその手続をしないときは管海官庁が職権を以て抹消の登録をすべき旨規定されている。然らば、沈没を理由とする船舶の抹消の登録は管海官庁において所有者の提出した資料の調査等により沈没の事実を証明するに足ると認定したことを前提とする訳であり、しかも、抹消の登録をすれば以後当該船舶は公簿上から抹消され一切存在しないものとして取り扱われるのであるから、管海官庁としても船舶にとつてかかる重大な意味をもつ抹消の登録をなすについては誤りを避けるためその認定に慎重を期するものと考えられる。してみれば、船舶原簿に沈没の記載がなされている以上、右記載事実が真実であることに疑いを抱かせるような事情がない限り当該船舶は船舶原簿記載のとおり沈没したものと推定するのが相当である。しかして、本件について前記船舶原簿の記載の真実性に疑いを抱かせるような事情のあることを示す証拠はないから、本件船舶は船舶原簿記載のとおり昭和三十二年七月二十六日沈没したものと推定する外はない。およそ行政処分の無効確認もしくはその取消を求めて訴を提起する利益が認められるのは、当該行政処分が存在するため当該訴訟の当事者がその法律上の地位に不安を生じ、もしくはその権利主張に束縛を受ける等当該行政処分が現に当事者の法律的地位に対する拘束として現実の意味を有していることを必要とすると解すべきである。本件公売処分の目的物たる船舶が既に沈没により失われた以上、たとえ、本件公売処分の無効が確認されもしくはその取消がなされたとしても、原告としてはもはや本件船舶について主張すべき所有権を有しない訳であり、その外に原告が本件船舶について本件行政処分の無効が確認されもしくはその取消がなされることにより復活される何等かの権利を有することも考えられない。もつとも、請求の成否は別として、原告が本件船舶の所有権を喪失したのは被告が違法な公売処分を行なつたことに因るものとして、国に対し国家賠償法に基づく損害賠償請求権を主張することが考えられる。しかしながら、国家賠償法に基づく損害賠償請求権の成立要件たる行政処分の違法性の有無に関する判断は当該行政処分が形式上有効なものとして存続しているか否かによつて左右されるものではなく、原告としては損害賠償請求の前提として本件公売処分の無効確認もしくはその取消を求めなければならないものではない。然らば、原告は本件公売処分が存在するため、これを前提として新に不利益を蒙る惧がある等その法律的地位に不案を感ずる状態もしくは権利主張に束縛を受ける状態にあると謂うことはできず、本件公売処分はもはや原告の法律的地位に対する拘束として現実の意味を有しないと謂わなければならない。従つて原告は本件公売処分の無効であることの確認もしくはその取消を請求する法律上の利益を有しないと解するのが正当である。単に特定の請求の当否について事実上の前提となることはあつてもそれ自体としては当事者の法律的地位の安定に何等の関りを持たないような権利関係については訴提起を必要とする正当の利益を認めることができないから、本件の審理が国家賠償法に基づく損害賠償請求の成否にとつて事実上の前提となるとしてもそのことだけで本件について訴提起の正当な利益を認めることはできない。然らば、他に特段の事情の認められない本訴請求は爾余の点について判断するまでもなく訴提起の正当な利益を欠き失当であることが明らかであるから棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 黒川四海 五十部一夫 高橋正之)
(別紙目録省略)